吉田公均(1804-1876)は、越中江上村(現在の富山県中新川郡上市町)の農家に生まれた。幼いころから画才を発揮し、それを認めた近所の住職の勧めで、12歳の時に京都に出て絵画の修行をはじめた。
はじめ当時の宮廷画家だった紀広成に師事し、広成没後は書家で南画家の貫名海屋、四条派の松村景文について学び、さらに中国絵画の白描法や没骨法なども研究した。
安政3年に京都御所が新築された際には、御殿の扉や襖に花鳥画を描き、一躍名を知られるようになった。明治維新後は東京に移住し、東京の四条派として多くの作品を残した。
吉田公均(1804-1876)よしだ・こうきん
享和4年越中国新川郡江上村(現在の中新川郡上市町江上)生まれ。名は平吉。初号は広均。別号に田均、江上外史、江上漁者などがある。文化13年京都に出て紀広成に師事し、天保10年の広成没後は、貫名海屋、松村景文に学んだ。明治9年、72歳で死去した。
富山(04)-画人伝・INDEX
文献:越中百年美術回顧展、とやまの寺宝、越中の美と心、稲垣碧峰とその師友、氷見市立博物館館蔵品展2