牧野牧陵(1805-1884)は、烏山仲町(現在の那須烏山市)のキザミ煙草屋「馬門屋」の二男として生まれ、26歳の時に絵師を志して喜連川藩御用絵師の津村雨林に師事、喜連川(現在のさくら市)の牧野家の養子となった。牧陵はすぐに腕をあげ、藩から屋敷を与えられるほどになり、師の雨林没後は喜連川藩御用絵師となった。
生涯地元を離れることはなかったが、奥州街道の要地である喜連川を訪れる文化人たちと積極的に交流し、徐々に独自の世界を切り開いていった。地元の年中行事や田園風景、庶民の暮らしなどを描き80歳まで健筆をふるった。
牧野牧陵(1805-1884)まきの・ぼくりょう
文化2年烏山仲町生まれ。喜連川藩の御用絵師。キザミ煙草屋「馬門屋」の二男。幼名は六蔵。喜連川宿の牧野家の養子となり津村雨林に南画を学んだ。別号に菜所、三貞、国観、清雪、此山などがある。明治17年、80歳で死去した。
津村雨林(1775-1832)つむら・うりん
安永4年喜連川生まれ。喜連川藩の御用絵師。名は基則、字は伯柯、通称は文平。仙台の壱山に師事。中国の倪雲林に魅せられて雨林と号した。画のほかに彫刻や楽焼なども得意とし、祇園祭の山車を喜連川で初めて造った。作品はあまり残っていない。天保3年、58歳で死去した。
栃木(13)-画人伝・INDEX
文献:郷土の天才画人牧野牧陵再発見、栃木県歴史人物事典