江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

駿河台狩野に学んだ津和野藩御用絵師・岡野家六代

岡野洞淵(不明-1759)は駿河台狩野の開祖・狩野洞雲益信の門人だったが、津和野藩主・亀井氏のお抱え絵師となり、その後岡野家は六代に渡って津和野藩に仕えた。第三代の岡野洞山美高(1770-1856)は狩野派の型通りの画風ではあるが、最も評価が高く、法橋に叙せられている。

岡野洞淵(不明-1759)
津和野藩御用絵師初代。名は益清。狩野洞雲益信の門人で、のちに洞春福信に師事した。亀井家に仕え、御用絵師として津和野に招聘された。宝暦9年死去した。

岡野洞桂(不明-1747)
初代益清の子だが、22歳で死去したため世襲はしていない。

岡野洞山美高(1770-1856)
明和7年生まれ。津和野藩御用絵師第三代。名は美高。狩野洞春美信の門人で、法橋に叙せられた。安政2年、87歳で死去した。

岡野洞山陳盖(不明-1860)
津和野藩御用絵師第四代。名は陳盖、はじめ洞淵春葉といった。狩野洞白の門人。三代洞山美高と同じ号を用いた。万延元年死去した。

岡野洞林(不明-1854)
岡野洞山陳盖の子だが、早世したため世襲はしていない。

岡野洞石(不明-1867)
津和野藩御用絵師第五代。慶応7年死去した。

岡野洞岡(不明-不明)
津和野藩御用絵師第六代、岡野洞石の子。その子美春は第7代となるはずだったが、明治維新に際して絵師を廃業し大阪に移住したといわれている。

栗本格斎(1845-不明)
弘化2年生まれ。通称は里治。津和野の人。岡野洞山に師事した。

島根(6)-画人伝・INDEX

文献:島根の美術家-絵画編、島根県文化人名鑑、島根県人名事典