松江藩の支藩である母里藩の御用絵師をつとめた長塩雪山(1774-1833)は京都に生まれたが、安来の医師・原氏方に寄宿していた父の近江屋太右衛門を慕い安来に移り住んだところ、原氏の推薦で母里藩の御用絵師となり、大塚村(現・安来市大塚町)に住んだ。住居は元大塚村役場で、書院に面して雪舟風の枯山水が作られ、求めに応じて画を描き、指導をしていたという。画風は江戸後期の京都の影響を受け、墨画山水、著色花鳥、風俗画など、画題、技法ともに多岐にわたり、当時の世情、嗜好をよく物語っている。雪山の画流は子の長塩雪虹(1810-1871)、孫の長塩雪塘(1832-1901)と引継ぎ、門人には下吉田の加藤雪溪、大光寺の山田反山、三島雲嶺らがいる。
長塩雪山(1774-1833)
安永3年京都生まれ。名は義明、通称は喜左衛門。別号に季信がある。雪斎季信の落款もある。俳号は洞川。安来の医師・原氏に寄住していた父・近江屋太右衛門を慕い安来に移り、原氏の推薦によ母里藩の御用絵師となり大塚村(現・安来市大塚町)に住んだ。昭和51年に雪山及びその門流の作品60点を集めて大塚で遺作展が開催された。天保4年、60歳で死去した。
長塩雪虹(1810-1871)
文化7年生まれ。長塩雪山の子。通称は庄蔵。雪山に学びその画風を伝えた。明治4年、61歳で死去した。
長塩雪塘(1832-1901)
天保3年生まれ。長塩雪虹の子。通称は甚太郎。安来市大塚町に住んでいた。父に学び、のちに根本幽峨、狩野勝川院雅信らに随行して山陰を遊歴した。慶応元年母里藩に仕え、明治以降は農業をしながら画を描いた。明治34年、70歳で死去した。
三島雲嶺(1828-不明)
文政11年安来市大塚町生まれ。名は藤四郎。長塩雪山に師事した。各地を遊歴しながら人物花鳥を多く描いた。
探水(不明-1868)
能義郡母里生まれ。仁多郡三沢村に住んでいた。長塩雪山に師事し、人物山水を得意とした。
加藤雪溪(不明-1872)
安来市下吉田生まれ。名は泰三郎。 長塩雪山に師事した。城安寺に身を寄せていたこともあり、安来市・能義郡に多くの作品が残っている。門人に近藤雪嶺、田中雪堂がいる。明治5年死去した。
近藤雪嶺(不明-不明)
能義郡の人。加藤雪溪に師事した。
田中雪堂(不明-不明)
能義郡の人。加藤雪溪に師事した。
島根(3)-画人伝・INDEX
文献:島根の美術家-絵画編、島根の美術、島根県文化人名鑑、島根県人名事典、出雲の藩主とお抱え絵師・職人展