深田直城(1861-1947)は、近江国膳所(現在の大津市)城下に生まれ、京都に出て四条派の森川曽文に師事した。曽文門下では三宅呉暁と双璧とされたという。明治15年に開催された第1回内国絵画共進会で褒状を受け、その後も順調に各展で受賞を重ねた。
京都を離れて大阪に移住してからは、大阪画壇を代表する画家のひとりとして活躍し、晩年は兵庫県の西宮で過ごしたという。花鳥画を好んで描いたが、とりわけ魚の絵を得意とした。上記掲載のような歴史画は珍しい。
深田直城(1861-1947)ふかだ・ちょくじょう
文久元年近江国膳所(現在の滋賀県大津市)生まれ。深田政明の子。名は政孝、字は子簽。別号に秋月がある。京都に出て四条派の森川曽文に師事した。明治15年第1回内国絵画共進会で褒状を受け、その後も受賞を重ね、のちに大阪に移住した。日本美術協会の一員として活動し、明治40に日本美術協会と正派同志会が連合で開催した展覧会では審査員をつとめた。昭和22年、86歳で死去した。
滋賀(26)-画人伝・INDEX
文献:近江の画人