林東溪(1807-1887)は、近江国蒲生郡中野村(現在の東近江市)に生まれた。幼いころから学問を好み、特に画を描くことを好んだという。成長するにしたがって、画を学ぶとともに易経・天文学もあわせて修めたと伝わっている。
世俗の事柄を好まず、家督を弟に譲り京都に出て円山派の円山応震に師事し、同門の森寛斎、駒井孝礼とともに三羽烏とうたわれた。人柄は温厚で、心静かで無欲だったが、奇人変人だったとも伝わっている。
京都から郷里に帰ってからは、花鳥風月を友として悠々自適な生活を楽しみ、利害利得を離れて自由に作画を続け、多くの作品を残した。
林東溪(1807-1887)はやし・とうけい
文化4年蒲生郡中野村(現在の東近江市)生まれ。三井藤九郎の子。幼名は三井藤吉、諱は経正、字は士興。円山応震に師事し、林姓は応震から授けられた。帰郷後は自由に作画を続けた。東近江市内に残っている絵馬としては、大森神社(東近江市大森町)の「神馬図」、中野神社(東近江市東中野町)の「神猿図」と「歌仙図」、高木神社(東近江市蒲生岡本町)の「鶏図」の4枚現存している。明治20年、81歳で死去した。
滋賀(20)-画人伝・INDEX
文献:近江の画人