青根九江(1804-1854)は、彦根城下の下魚屋町(現在の彦根市城町)で藩主御用の茶屋を営む富商の子として生まれた。分家して山城屋と称して本家の向かいに住んでいたという。いつ頃京都に出たのかは定かではないが、京都で山本梅逸(参考)の門人となり、師の梅逸が得意とした中国の明・清時代の華やかな花鳥画を源流とし、梅逸より平明で淡泊な作品を描いた。
入門時期も定かではないが、嘉永5年に京都で開催された梅逸の古稀祝賀書画会の出品目録の編者となっていることから、梅逸晩年の有力な弟子であったことがうかがえる。梅逸作品のなかには、九江が真筆の意を箱書きしているものもある。
九江と同時代の彦根生まれの絵師としては、九江同様に京都に出て活躍した石田逸翁(1800-1869)がいる。逸翁の菩提寺である圓常寺には作品や史料が残っており、その記録によれば、逸翁は岸駒門の白井華陽に学び、岸派の画風をよく伝えたとある。また、逸翁の妹の石田秀蘭(1803-1863)も画をよく描き、美しく繊細な花鳥を好んで描いた。
青根九江(1804-1854)あおね・きゅうこう
文化元年彦根城下下魚屋町(現在の彦根市城町)生まれ。彦根藩の御用もつとめた富商・青根三郎右衛門の子。名は介、字は石天。京都で山本梅逸に師事した。作品はあまり確認されていないが、そのほとんどが花鳥画である。嘉永7年、50歳で死去した。
滋賀(18)-画人伝・INDEX
文献:彦根ゆかりの画人、近江の画人