江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

鱗が1枚欠けた蟠龍・御厨夏園による多久聖廟の天井画

御厨夏園「多久聖廟の天井画」

佐賀藩多久領四代領主・多久茂文(1669-1711)は、幼いころから学問を好み、18歳で家督を相続してからは、多久の人々の教育促進のため、学問所である東原庠舎や、孔子像を安置した多久聖廟を建立、文教の地の基盤をつくった。現在でも多久市は「孔子の里」としてその精神を受け継いでおり、多久聖廟は国の重要文化財に指定されている。

多久聖廟の天井には巨大な蟠龍が描かれており、多久の画人・御厨夏園(不明-1722)の筆とされる。蟠龍とは、とぐろを巻いている龍、天に昇りきっていない龍、うずくまって休んでいる龍のことで、夏園の描いた蟠龍には鱗が1枚欠けている部分がある。これは、まるで生きているような出来栄えの素晴らしさから、夜な夜な天井を抜け出しては人々を驚かすので、鱗を1枚はがして抜け出さないようにしたとの説や、あまりの迫力に龍が飛び去ってしまうのを恐れて鱗を1枚描かずに未完成にしてあるなど、さまざまな伝説が語り継がれている。

御厨夏園(不明-1722)
御厨家は嵯峨源氏の流れを汲み、その末裔。諱は守澄。画を狩野文周に学んだ。多久聖廟内陣の天井板面に蟠龍の巨画を描いた。龍画は朱墨で描かれ、縦12尺横9尺の大画である。門人として江口栄春がいる。正智軒様画像(茂文像)や正善寺の着色絹本仏涅槃図(多久市重要文化財)などの作品が残っている。生年は不明だが、80歳の時の作画が確認されている。享保7年死去した。

多久茂文(1669-1711)
寛文9年生まれ。佐賀藩多久領四代領主。佐賀藩二代藩主・鍋島光茂の三男。2歳の時に多久領三代領主・多久茂矩の養子となり、18歳で家督を相続、佐賀藩多久領四代領主となった。本藩では筆頭家老をつとめた。幼いころから儒学を好み、實松元琳を師として学問に励んだ。東原庠舎、多久聖廟を建立して政教の基本とした。以来、多久は文教の地として多くの人材を輩出した。正徳元年、42歳で死去した。

江口栄春(不明-不明)
「旧多久邑人物小誌」には御厨夏園の弟子とある。また、『多久諸家系図』の「源姓御厨氏系図」には夏園の養子とあり、夏園を継いだ多久の絵師とみられる。専称寺に落款署名のある「十王図」と「観無量寿経変相図」が残っている。

佐賀(4)-画人伝・INDEX

文献:肥前の近世絵画、郷土の先覚者書画、佐賀の江戸人名志