二代長谷川貞信「胡蝶戯洋行」のうち2点
二代長谷川貞信(1848-1940)は、初代貞信の長男として生まれ、明治8年に二代貞信を襲名した。父の初代貞信から画を学んだが、父の勧めで一鶯斎芳梅にも入門した。天保の改革以降、中判が主流となっていた上方役者絵に明治17年から大判を復活させた。
また、高麗鉄橋や神戸海岸通など明治時代の大阪や神戸の風景を描いた開化絵に秀作を残した。長寿で、90歳を過ぎて100枚組の肉筆画「浪花百勝」を完成させた。
三代長谷川貞信(1881-1963)は、二代貞信の長男として生まれ、三代小信を名乗り、のちに貞信を襲名した。歌舞伎の番付や役者の似顔絵集、小型講談本「立川文庫」の口絵などを手掛けた。また、肉筆美人画においては近代的な風貌の美人を描いた。
長谷川貞信(2代)(1848-1940)はせがわ・さだのぶ
嘉永元年生まれ。大坂の人。初代長谷川貞信の長男。名は徳太郎。父初代貞信と一鶯斎芳梅に師事した。慶応3年頃から初代小信を名乗り、明治8年に二代貞信を襲名した。昭和15年、93歳で死去した。
長谷川小信(2代)(1859-1886)はせがわ・このぶ
安政6年生まれ。大坂の人。初代長谷川貞信の二男。名は貞吉。明治8年頃から没年まで活動したが、早世のため作品数は少ない。明治19年、28歳で死去した。
長谷川貞信(3代)(1881-1963)はせがわ・さだのぶ
明治14年生まれ。大坂の人。二代長谷川貞信の長男。名は信太郎。父二代貞信に画を学び、三代小信となり、のちに貞信を襲名した。昭和38年、83歳で死去した。
大阪(75)-画人伝・INDEX
文献:上方の浮世絵-大坂・京都の粋と技、日本の浮世絵美術館巻五