長谷川宗広「姫競二葉画双紙」
長谷川宗広(不明-不明)は、初代長谷川貞信の門人と思われ、嘉永5年頃から慶応3年頃まで活動した。役者絵を手掛け、まとまった量の作品が確認されている。文久3年に限って一時的に二代北川豊秀を名乗ったが、翌年以降は再び宗広に戻った。
長谷川宗広(不明-不明)はせがわ・むねひろ
大坂の人。初代長谷川貞信の門人と思われる。嘉永5年頃から慶応3年頃までの作例が確認されている。
北川豊秀(不明-不明)きたがわ・とよひで
大坂の人。天保9年頃から天保の改革によって役者絵版行が禁止される時期までの作例が確認されている。役者絵を描き、鮮やかな色彩の作品を残している。
大阪(73)-画人伝・INDEX
文献:上方の浮世絵-大坂・京都の粋と技