江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

幕末大坂戯作界の第一人者で自ら挿絵も描いた暁鐘成

暁鐘成「浪華天保山全図」(『天保山名所図会』上より)

暁鐘成(1793-1860)は、大坂西横堀で代々醤油醸造業を営む和泉屋に生まれた。『金毘羅参詣名所図会』や『西国三十三所名所図会』などの名所図会をはじめ、読本、洒落本、滑稽本から狂歌、随筆まで広範な分野で著書のある文人で、自ら挿絵も描いた。画は蘭英斎芦国の門人とされ、自著の『澱川両岸勝景図会』『算法稽古図会』『天保山名所図会』などに挿絵を描いた。

また、心斎橋筋博労町で土産店「鹿廼舎」を営み、奈良の名産物や京都の有識調度品を販売するとともに、優雅な庭園を備えた天王寺の「美可利家」や、難波の鐵銀寺門前の「豆茶屋」など、文人や趣味人の集まるサロンのような茶店を経営した。

万延元年、妻の親戚を訪ねて丹波福知山に赴いた際、領地住民のために一揆の撤文を書いたことにより朽木騒動に連座したとして入牢、釈放後大坂に帰ったが、ほどなく没した。

暁鐘成(1793-1860)あかつき・かねなる
万延元年生まれ。大坂の人。姓は木村氏、名は啓明あるいは明啓、俗称は和泉屋弥四郎。別号に鶏鳴舎、漫戯堂、鹿廼舎真萩、美可利家、手鍋庵、未曽志留坊一禅、晴翁などがある。晩年、鐘成の号を門人の安部貞昌に譲って晴翁と号した。大坂で代々醤油業を営む和泉屋の3代目茂兵衛の第四子。幼いころから読書を好み、のちに上本町に別居して鹿廼舎真萩の名で著述を行なった。著書に『澱川両岸勝景図会』『浪華の賑い』『宇治川両岸一覧』『蒹葭堂雑録』『浪華名家墓所集』などがある。寛政5年、68歳で死去した。

大阪(52)-画人伝・INDEX

文献:近世大阪画壇、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、大阪名家著述目録、幕末大坂の風景