少林(不明-1835)は、大坂の北中島小松村久昌院の住持で「少林山人」とも呼ばれた。紀州の野呂介石に画を学び、介石を通じて池大雅風の南画を学んだと思われる。詳しい経歴は不明だが、文政6年刊『続浪華郷友録』には書、画、詩に巧みと書かれ、翌年刊『新刻浪華人物誌』には儒者として挙げられている。
文化4年刊『浪華画人組合三幅対』および文化6年刊『浪華画家見立組』に「小まつ」に住む画人として「僧松林」の名があり、おそらく同一人物と思われる。
少林(不明-1835)しょうりん
大坂の人。一説には北越生まれ。名は道淳(道醇)。号は少林、黄峯。野呂介石に学び、池大雅風の南画を描いた。儒者でもあったと思われる。天保6年死去した。
大阪(34)-画人伝・INDEX
文献:近世大阪画壇、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、近世の大阪画人