江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

石垣島で活躍した画家で芸能家・久場島清輝

久場島清輝「彌勒と唐子図」石垣市立八重山博物館蔵

王朝末期から大正にかけて石垣島で活躍した久場島清輝(1864-1920)は、画家であり、芸能家でもあった。若いころ沖縄で役者をしていて、芝居の巡業で石垣島に渡り、民間の絵師として桃林寺の「十王図」の一部や、日本の浮世絵に影響を受けた「織婦図」などの作品を残した。その生涯については不明な点が多く、家族でさえも多くを知らないという。

清輝の父・清心も画家で、作品が国王への献上品となり、恩賞として久場島を与えられたが、島の名前だけをもらい「久場島」と名乗るようになった。清輝は、この父に画技を学び、士族の嗜みとして歌舞音曲を身につけたと思われ、幼いころから芸事に秀で、特に絵や踊りが優れていたという。

石垣島の宮良村に定住してからは、村々に出向いては舞踏を教え、望まれれば掛け軸や仏画を描いた。清輝と一緒に八重山に渡った者たちは、屋敷を構え財を成したが、清輝は逆に大切にしていた三味線や太鼓を売り払ってしまい、生涯を貧困のうちに過ごしたという。

久場島清輝(1864-1920)
1864(慶応2)年那覇生まれ。絵画だけでなく舞踊や三線など諸芸能にも秀でていた。27歳の頃に沖縄芝居の巡業で八重山を訪れ、そのまま石垣島宮良村に定住、宮良を拠点に画家・芸能家として活躍した。作品に「彌勒と唐子図」「花鳥図」「琉装旅女の図」「樹下織婦理系図」「大浜村龕幕の仏画」や約130点の画稿が残っている。1920年、55歳で死去した。

沖縄(15)-画人伝・INDEX

文献:特別企画久場島清輝展、すぐわかる沖縄の美術、琉球絵画展