江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

仙台藩御用絵師・菊田栄羽とその画系

菊田栄羽「鷹図」福島美術館蔵

菊田家は、二代藩主忠宗の時代に東照宮造営に参画した絵師・菊田喜膳に始まると推測されているが、家系がはっきりしてくるのは次代の栄喜のころからである。そして、栄喜の養子・栄羽の代になって菊田家の活躍がはじまる。

栄羽は、破笠細工の作者で蒔絵師の小川破笠の子で、画は狩野栄川古信に学んだ。享保17年、21歳で菊田栄喜の養子となり、その2年後には瑞鳳殿に安置されていた伊達政宗像の彩色補修を養父とともに担当している。

五代吉村、六代宗村、七代重村の三代に仕え、狩野派の名手として関東以北の宗師と称された。五代吉村は、将軍への献上品として栄羽の絵画を贈ったと伝わっている。

菊田栄喜(1683-1742)きくた・えいき
天和3年生まれ。実子はなく小川宗羽の子・栄羽を養子とした。享保17年松原探水とともに屏風に松島図を描いた。菊田家では、毎年正月には「宝船ノ図」を藩主に献上する習慣になっていたという。寛保2年、60歳で死去した。

菊田栄羽(1712-1776)きくた・えいう
正徳2年生まれ。名は古行。別号に東皐斎がある。小川破笠の子。江戸の人だったが、享保17年、21歳の時に仙台藩御用絵師だった菊田栄喜の養子となり菊田家を継いだ。狩野栄川古信に師事した。安永5年、65歳で死去した。

菊田東羽(1747-1817)きくた・とうう
延享4年生まれ。名は俊行。菊田栄羽の長男。仙台四大画家のひとり・菊田伊洲の義父。文化14年、71歳で死去した。

宮城(7)-画人伝・INDEX

文献:仙台画人伝、仙台藩の絵師、仙台市史通史編4(近世2)、仙台藩の御用絵師・菊田伊洲