伊勢で浮世絵を描いた画人としては、月僊の高弟とされる西岡邦教に画を学び、月僊風の画を描いていた喜多村邦穀(1793-1853)が、のちになって浮世絵を試みた。『三重県の画人伝』には「浮世絵を画くに頗る妙を得たりと云う」と記されており、その技術の高さを伝えている。邦穀の画法は、その子豊春らによって引き継がれた。
喜多村豊春(1822-1882)きたむら・ほうしゅん
文政5年山田浦口町生まれ。名は光政、字は以讀、幼名は嘉四郎、のちに嘉讀と改めた。幼い頃から画を好み、父・邦穀に学んで浮世絵の画法を修め、さらに自ら研究を重ねた。名声を得て、当時の市の内外を問わず氏神祭礼の日に各所に掲げた大額の似顔絵は、多くが豊春の筆であったという。明治15年、60歳で死去した。
喜多村豊景(1842-1888)きたむら・ほうけい
天保13年山田浦口町生まれ。名は與太治、字は子明。喜多村豊春の弟。水溜米室の画流を汲んで、さらに改めた。神宮宮掌の職を拝し、明治2年、両大神宮御遷宮御図を描き、神宮文庫に収蔵されている。明治21年、47歳で死去した。
喜多村豊洲(1850-1901)きたむら・ほうしゅう
嘉永3年山田浦口町生まれ。幼名は嘉四郎。喜多村豊春の長男。幼い頃から父・豊春について浮世絵を学んだ。明治34年、51歳で死去した。
喜多村豊谷(1862-1893)きたむら・ほうこく
文久2年山田浦口町生まれ。名は豊谷。喜多村豊春の四男。父・豊春について浮世絵を学び、山水花鳥を得意とした。はじめ浦口町に住んでいたが、のちに八日市場町に移り住んだ。明治26年、32歳で死去した。
三重(4)-画人伝・INDEX