板谷桂舟(廣隆)「源氏物語図」(左:胡蝶、右:初音)
板谷慶舟(広当)は、住吉派の住吉廣守の門人で、廣守に子がなかったため一時期住吉家を継いだが、子の広行が成長すると、広行に住吉家を継がせ、自身は板谷姓に戻して板谷派を創設した。その後剃髪して慶舟と名乗り、さらに桂舟と改号した。
板谷派は、慶舟(広当)の二男・廣長が幕府御用絵師に任じられ、その後、廣隆、弘延、広春へと引き継がれ、代々桂舟の号を用いて狩野派や住吉派とともに御用をつとめた。慶舟から5代後の広春が最後の幕府御用絵師となり、広春の子・広永も明治から昭和にかけて日本画家として活躍した。
また、住吉廣守の門人・直芳は、廣守から粟田口の屋号を授かり、新しい流派を設立した。この流派は、直隆、直起、隆吉へと続き、幕府の御用坊主として画事に携わった。
板谷慶舟(1729-1797)いたや・けいしゅう
享保14年生まれ。幼名は広度。住吉廣守に師事し、住吉広当と称した。安永6年住吉家を継いだが、天明元年住吉家を子の広行に次がせ板谷姓に戻った。のち仏門に入って慶舟と名乗り、寛政8年より桂舟と号した。子孫は代々桂舟の号を用いて絵師職を継承した。寛政9年、69歳で死去した。
京都(77)-画人伝・INDEX
文献:近世やまと絵50選、やまと絵日本絵画の原点、もっと知りたいやまと絵