狩野永良「親子犬図」静岡県立美術館蔵
京狩野4代・狩野永敬の子・永伯は、16歳の時に父を亡くし、京狩野5代を継いだ。はじめ父に画法を学んだのち、狩野宗家の中橋狩野9代主信について学び、瀟洒な江戸狩野様式の画風に接近した。永伯に男子はなく、京狩野6代は養子の永良が継いだ。
永良は、義父・永伯に学び、当時流行していた中国の沈南蘋が伝えた写生画風を取り入れ、写生体の花鳥画に京狩野らしからぬ新生面を開いた。九条家のお抱え絵師をつとめ、さらに禁裏御用絵師にも登用されたが、31歳で没した。
永良作とされる「親子犬図」(掲載作品)は、漢画的な墨線をできるだけ排除して色彩による没骨法を主体とし、目に群青、親犬の目頭と目尻、黒犬の歯茎に朱を用い、生々しい表情を表出している。ころころとしてじゃれあう子犬の姿は、同時代の円山応挙が好んだ主題と共通している。
6代目の永良が早世したため、7代目は門人筋から永常が養子となり跡を継いだが、永常は義父の画風を追おうとはせず、京狩野にとって古典である山雪様式へと回帰した。8代目も養子の永俊が継ぎ、やはり山雪ばりの形態感覚を継承した。永俊にも相続者がおらず、京狩野は末期養子として27歳の門弟・永岳を9代目に迎えた。
狩野永伯(1687-1764)かのう・えいはく
貞享4年生まれ。京狩野5代。狩野永敬の長男。名は清信。別号に山亮がある。はじめ父に学び、のち狩野主信に学んだ。明和元年、78歳で死去した。
狩野永良(1739-1770)かのう・えいりょう
元文4年生まれ。京狩野6代。狩野永伯の養子。通称は縫殿助。別号に山晟斎がある。父に学び、禁裏御用絵師をつとめた。明和6年、31歳で死去した。
狩野永常(1731-1787)かのう・えいじょう
享保16年生まれ。京狩野7代。狩野永敬の門人・永隆の子で永良の養子。通称は縫殿助。別号に山隆がある。天明7年、57歳で死去した。
狩野永俊(1769-1816)かのう・えいしゅん
明和6年生まれ。京狩野8代。狩野永常の養子。通称は縫殿助。別号に山朴がある。文化13年、48歳で死去した。
京都(66)-画人伝・INDEX
文献:狩野永徳と京狩野、狩野派決定版