藤原行光「十王図」(左:五道転輪王、右:秦江王)重文 京都・二尊院蔵
藤原隆章・隆昌父子とほぼ同時期、土佐派の実質的な祖となる藤原行光(不明-不明)は、足利将軍家および北朝の周辺でやまと絵制作を行ない、絵所預となった。その後、この絵所預の職は行光の子孫たちによって継承され、土佐派と呼ばれる画派を形成した。
行光は応安4年(1371)まで活躍していたことが確認されており、工房は京都の中御門大路に位置していた。足利尊氏の注文で「泰衡征伐絵」を描くなど、草創期の将軍家との間に密接な関係を築き、それは子孫にも継承され土佐派発展の礎となった。
掲載の「十王図」は、行光による唯一の現存作例とされる。同主題の絵画は宋元時代の中国から伝わり、日本でも盛んに描かれたが、行光は和装の人物を加えて和様化をはかり、王の背後にある衝立には水墨画を配置すなど、和と漢の要素を融合して表現の幅を広げている。
藤原行光(不明-不明)ふじわら・の・ゆきみつ
南北朝時代の画家。土佐派の実質的な祖と位置付けられている。後光巌天皇在位期頃に絵所預であったと考えられ、応安4年までその任にあったことが確認されている。その間、越前守、刑部少輔で従四位上にまで上っている。康応元年にはすでに出家して入道閑楽と称した。現存作品では「十王図」が行光筆と推測されているほか、足利尊氏が注文した「泰衡征伐絵」が記録上行光筆と確認されている。
京都(35)-画人伝・INDEX
文献:本朝画史、室町時代のやまと絵、やまと絵 日本絵画の原点、日本美術全集9