豪信「花園天皇像」国宝 京都・長福寺蔵
平安後期に藤原隆信・信実父子によって確立された肖像画様式「似絵」は、鎌倉時代には大流行し、信実の子・専阿弥陀仏は似絵の技法により「親鸞聖人像(鏡御影)」を描き、同じく醍醐寺の信海は、白描図像を得意として活躍した。この家系は「似絵」を家業として継承していったと思われるが、豪信を最後にその系譜は途絶えた。
掲載の「花園天皇像」は、鎌倉後期の花園天皇を似絵の技法で描いたもので、図の左方に天皇自身の手による書き込みがあり、豪信の作であることがうかがえる。豪信は、天台宗の僧だったが、似絵の家系に属する人物でもあり、実父の為信とともに「天子摂関御影」も描いている。
豪信(不明-不明)ごうしん
鎌倉時代から南北朝時代の似絵画家。藤原為信の孫で為理の子(実父は為信)。比叡山に学び、律師・僧都・法印と叙せられた。元応2年高山寺において伏見天皇御影を模写。嘉暦元年慈鎮の影を写し、尊円親王が賛を寄せた。暦応元年「花園天皇像」を制作。貞和4年「風雅集竟宴図」を描いた。その家系は信実、為継、伊信、為信、為理、豪信と継がれ、豪信の代で途絶えた。
京都(18)-画人伝・INDEX
文献:本朝画史、もっとしりたいやまと絵、やまと絵 日本絵画の原点