詫磨栄賀「柿本人麿像」重文 常盤山文庫蔵
宅磨派は、平安時代末期から南北朝時代にかけて活躍した絵仏師の一派で、従来の仏画の伝統に基づきながら宋画の様式を取り入れ、仏画に新風を吹き込んだとされる。宅磨派の「たくま」は、宅磨をはじめ、詫磨、宅間、詫磨、詫摩など数多くの漢字で表記される。
宅磨派の祖としては諸説あるが、有力な説としては詫磨為遠を祖とし、鎌倉時代に為遠の長男・勝賀の京都絵仏師の系統と、三男・為久を祖とする鎌倉中心の系統に別れた。
京都宅磨派の勝賀は、神護寺などを中心に活動し、神護寺と東寺に残る「十二天画像」は勝賀の作と伝わっている。その後京都宅磨派は、良賀、俊賀、長賀と継承され、最末期の絵師として栄賀が知られる。
栄賀の出自は「十六羅漢像」(大阪・藤田美術館蔵)や「仏涅槃図」(愛知・大樹寺蔵)などに記された「詫磨法眼栄賀」という落款から、宅磨派の流れを汲む絵師ということが分かっているにすぎない。掲載の「柿本人麿像」も、画面左下に捺された「栄賀」の印から詫磨栄賀の筆と伝えられてきたが、近年この印文には疑問も持たれている。
詫磨栄賀(不明-不明)たくま・えいが
鎌倉末期の絵仏師。勝賀を祖とする宅磨派京都絵仏師系の最後の人。作品に「十六羅漢」「柿本人麿像」などが伝わっている。
京都(17)-画人伝・INDEX
文献:本朝画史、日本美術全集9、日本の美術12 周文から雪舟へ