江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

京都巨勢派の最後の絵仏師・巨勢行忠

巨勢行忠、他「弘法大師行状絵巻」(11巻 部分)重文 京都・東寺蔵

巨勢派は、巨勢金岡を祖とする絵師の家系で、代々宮廷の絵所の中心的位置を占め、やまと絵の発展に重要な役割を果たした。鎌倉時代に入ると京都を離れ、南都(奈良)の興福寺で絵仏師として活動したため、京都での巨勢派は巨勢行忠(不明-不明)を最後に途絶えた。南都ではその後も子孫が家系をつなぎ、江戸時代に入っても巨勢家が大乗院の絵仏師の任にあったと推定されている。

掲載の「弘法大師行状絵巻」は全12巻で、1巻から4巻3段までを南都絵師祐高法眼が、4巻4段から10巻を中務少輔久行が、11巻を巨勢行忠、12巻を大舎人大進法眼善祐と、4人の絵師が分担して制作した。応安7年に制作が始まり、康暦元年にはいったん完成したものの、行忠の担当箇所で描き直しが行なわれたことから、康応元年に完成となったことが知られている。

行忠は、数紙を用いて広大な風景や行列を描いたが、人物表現は形式的で、室町後期に流行する稚拙な様式の萌芽を感じさせるという評もある。

巨勢行忠(不明-不明)こせ・の・ゆきただ
巨勢派の仏絵師。巨勢有久の子。采女正。父の跡を継ぎ、貞治2年に京都・東寺絵所職に補任されたが、宮廷の絵所にも属していたと思われる。「弘法大師行状絵巻」などが代表作。行忠以後京都の巨勢派は途絶えた。

京都(16)-画人伝・INDEX

文献:本朝画史、日本美術全集9