岸竹堂「大津唐崎図屏風」(部分)
岸竹堂(1826-1897)は、彦根藩士の家に生まれ、17歳で京都に出て狩野永岳に入門した。しかし、狩野派の粉本主義の教育法に飽き足らず、翌年岸派の岸連山に入門、のちにその娘と結婚し、33歳の時に連山が死去したため岸派四代を継いだ。
しかしその後、幕末の戦乱で京都は兵火にさらされ、画業もふるわず、生計に困窮した。宿屋、蚊帳屋、蝋燭立屋、茶店、屋台などに手を染めたが、明治6年、友禅問屋の千總の西村総左衛門が友禅図様一新のため竹堂に絵を学んだことをきっかけに、友禅の下絵を描くようになって生活の安定を得た。
友禅の下絵ではのちに高島屋の依頼にも応じ、天鵞絨友禅の制作にも協力した。この間、千總などで見た外国雑誌が刺激となって西洋絵画を研究し、「大津唐崎図屏風」(掲載作品)など、西洋画風の遠近表現を取り入れた実景山水を制作した。
優れた画技に加え、その性格は「飾りのなり淡白な性分の上に、謙譲温良」とされ、画家仲間との折り合いもよく、次第に京都画壇の長老として重んじられるようになった。明治29年には帝室技芸員に選ばれたが、健康がすぐれず、翌年72歳で死去した。
岸竹堂(1826-1897)きし・ちくどう
→近代京都画壇の黎明期に活躍した岸派四代・岸竹堂
→岸駒の跡を継いだ岸岱と岸派の画家
京都(139)-画人伝・INDEX
文献:円山応挙から近代京都画壇、京都と近代美術、京都国立近代美術館所蔵名品集[日本画]、近代の京都画壇、近代京都日本画史、日本美術全集16