江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

応挙門下の一番弟子にあたる存在・島田元直

島田元直「和漢人物図」洛東遺芳館蔵

島田元直(1735-1819)は、朝廷に仕えていた藤井重好の二男で、島田政直の養子になった。円山応挙門下では一番弟子にあたる存在で、当時かなりの人気絵師だったと思われ、『平安人物誌』には円山応挙、伊藤若冲池大雅与謝蕪村に続いて5番目に記されている。

寛政2年には応挙とともに寛政度御所造営に参加するなど、円山派の中心的存在として活躍したが、作品はほとんど残っておらず、大乗寺の障壁画制作にも参加しているが、なぜか元直の「花鳥図襖」は現存していない。

掲載の「和漢人物図」は、六曲一双の屏風で、右隻に唐人物を、左隻に日本の女性を中心に描いたもので、人物描写は応挙とは一風異なり、シャープな筆致をみせている。

島田元直(1735-1819)しまだ・もとなお
享保20年生まれ。本姓は紀、姓は島田、名は元直、字は子方、鸞洞と号した。朝廷に仕えた藤井重好の二男で、島田政直の養子になった。位階は縦四位上で、内匠助や主計頭の官職をつとめたと思われ、円山応挙門下の画家のなかでは珍しく官位を有していた。寛政度の御所造営時には応挙とともに多くの障壁画制作に携わった。文政2年、84歳で死去した。

京都(100)-画人伝・INDEX

文献:円山応挙から近代京都画壇、京都画壇の一九世紀(2)