江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

矢野派の再興者・矢野雪叟

矢野雪叟「旭日に猛禽図」

三代茂安の時代に衰退していった細川家御用絵師・矢野家だが、茂安の養子・矢野雪叟(1714-1777)が四代目を継ぐと、牧谿や雪舟など和漢の古画の模写などを通じて雪舟流の画風を再興し、雪舟流を基調とする矢野派の様式を確立していった。矢野派は次世代の矢野良勝・衛藤良行らの時に隆盛をみせるが、雪叟こそが実質的な矢野派の再興者といえる。また、煎茶を好み、その奥義を極めていたという。

矢野雪叟(1714-1777)
正徳4年生まれ。山田里助の子。通称は喜三右衛門。安良と称した。号は龍谷、鶴仙斎、窓月、喫茶亭などがある。矢野家三代茂安に学び、のちに養子となって矢野家四代を継いで、藩画府根役となった。明和2年法橋に叙せら、雪叟に改号した。安永6年、64歳で死去した。

竹原玄路(1720-1794)
享保5年生まれ。熊本藩士。名は玄路、惟親、通称は勘十郎。号は紫海、紫海翁、広陵、梅園、澹園、光楊山人など。先祖は元阿蘇家の家人で、玄路はその六代目。画は矢野雪叟に学んだ。細川家八代重賢に側用人として仕え、藩政改革(宝暦の改革)に功労があった。弓馬、礼式、歌道などにすぐれていた。寛政6年、75歳で死去した。

松嶋仙流(1722-1784)
享保7年生まれ。通称は仙流、良明。号は巌谷。八代松井家の絵師。元文元年、14歳の時に張付所雇に召し出され、その後矢野雪叟に師事し、延享4年に絵師になった。明和2年法橋に叙され、安永6年には法眼に叙された。明和7年松井家菩提寺・春光寺の襖絵を描いた。雪叟の没後は、熊本藩の五代良勝が18歳と若年だったため、その指導や本藩の御用も手掛けた。天明4年、63歳で死去した。

甲斐良郷(1761-1829)
宝暦11年生まれ。甲斐永翅と称した。号は旋谷。別に松濤園、聴松窩、鶴隣などがある。細川藩筆頭家老松井家の絵師。矢野雪叟に学び、その画風をよく修得した。「領内名勝図巻」制作にあたっては良勝の協力者の一人だった。文政12年、69歳で死去した。

熊本(3)-画人伝・INDEX

文献:肥後の近世絵画、細川藩御用絵師・矢野派、肥後書画名鑑