江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

絵金と絵金派

絵金「太平記忠臣講釈七条河原惣嫁宿」高知県立美術館蔵

絵金が創出した「芝居絵屏風」は、土佐の各地から集まった弟子や孫弟子たちによって幕末から昭和初期まで描き継がれた。それらは一括して「土佐芝居絵屏風」と呼ばれ、それらを描く弟子たちは各地で「絵金さん」と呼ばれ親しまれた。絵金の弟子たちは墓碑には数百人にのぼるとある。土佐芝居絵屏風は現在でも200点あまりが残されていて、隠し落款などから、そのうち絵金の作品が約20点、河田小龍の作品も8点ほど含まれていると思われる。弟子たちは主に紺屋を業とするものが多く、各地に住み町絵師として絵馬や土佐凧、幟、フラフ、押絵、嫁入り布団などを制作し、神社に奉納される芝居屏風絵を描いた。

彼末堤馬(1842-1926)
天保13年生まれ。高知市五台山の麓に住み、「絵ん馬(えんま)さん」と呼ばれた。昭和元年、85歳で死去した。

吉川金太郎(1836-1901)
天保7年生まれ。堤馬の兄弟子で、紺屋。現在の香南市香我美町岸本に住んでいた。明治34年、66歳で死去した。

小味丑太郎(1847-1913)
弘化4年生まれ。香南市赤岡町に住み、五月幟や凧絵を得意とした。大正2年、67歳で死去した。

久保安悟(1822-1893)
文政5年生まれ。高岡町の米屋「米安」の主人で、絵馬屋となった。明治26年、72歳で死去した。

久保南窓(1848-1917)
嘉永元年生まれ。久保安悟の長男。「米柳」と呼ばれ、絵馬提灯を得意とした。大正6年、70歳で死去した。

古谷洞芸(1828-1872)
文政11年生まれ。高知市須崎の紺屋で絵幟や土佐嫁入り布団が得意だった。明治5年、45歳で死去した。

野口左厳(1836-1910)
天保7年生まれ。香南市赤岡町の西隣の野市に住み、独特の流れるような芝居絵を描き「野市絵金」と呼ばれた。明治43年、75歳で死去した。

広田竹甫(1845-不明)
弘化2年生まれ。奈判利町の紺屋。絵金と「龍虎図」を共作、龍を友竹、虎を竹甫が描いた。

恒石徳治(1853-1912)
嘉永6年生まれ。高知市夜須町の紺屋で、歌舞伎狂言を描いた絵馬が伝わっている。大正元年、60歳で死去した。

島田虎次郎(1858-1915)
安政5年生まれ。高知城下の表具師で、「虎絵」と呼ばれ、地芝居の舞台制作や花台(山車)に欠かせない職人町絵師だった。大正4年、58歳で死去した。

宮田友川斎(1860-不明)
万延元年生まれ。高知県吾川郡春野町生まれで絵金の最晩年の弟子。

辺見藤七(1861-不明)
文久元年生まれ。表具師のかたわら屏風絵を得意とし、「本山絵金」と呼ばれた。

山崎金蔵(不明-不明)
佐川町の町絵師で、観柳斎奉行と号し、風景図絵を得意とし、「佐川絵金」と呼ばれた。

武政勇造(不明-不明)
高知市旭町の彫物細工師。上方で修業したといわれ、花台をよくした。

高知(7)画人伝・INDEX

文献:土佐画人伝近世土佐の美術、南国土佐の忠臣蔵-絵金が描いた芝居絵屏風-、坂本龍馬の時代 幕末明治の土佐の絵師たち