江戸時代の薩摩画壇は、木村探元の登場によって隆盛期を迎えた。探元は多くの門人を育てたと伝えられており、『薩摩画人伝備考』には、探元に学んだ絵師として、押川元春、能勢探龍、森探瑞、和田雪観、山路探定、永井探謙、市成弥平太、安山親定、竹崎元章、白石探隠が挙げられている。そのなかでも最も有力な門人の一人と考えられているのが能勢探龍(1702-1755)である。
探龍の詳しい画歴は伝えられていないが、10歳の時に当時33歳だった探元に入門して絵を学んでいる。その後、江戸の狩野家に学んだという記録はない。享保19年から翌20年にかけては、同門の押川元春とともに、師の探元に従って京都の近衛家に滞在し、探元、元春とともに近衛御殿に参上して、家久の前で席画をしている。
能勢探龍(1702-1755)
元禄15年生まれ。幼名は覚内、諱は治休、名は守成、のち権八と称した。別号に探龍斎、曙山、紹軒、得雲斎、九皐亭、梅林堂などがある。正徳元年、10歳にして木村探元の門に入り、よく師の画風を受け継いだとされている。享保19年から20年にかけては、師に従って京都の近衛家に滞在した。江戸後期から明治にかけて活躍する能勢一清やその子・内山一観らは探龍の子孫と伝えられている。門人に野舟と号して永井慶竺の養子となった猿川英昌がいる。宝暦5年、54歳で死去した。
鹿児島(11)-画人伝・INDEX
文献:近世薩摩画壇の隆盛 木村探元展、薩摩の絵師、美の先人たち 薩摩画壇四百年の流れ、かごしま文化の表情-絵画編、黎明館収蔵品選集Ⅰ、鹿児島市立美術館所蔵作品選集