江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

室町末期から桃山初期にかけて活躍した画僧・弓削等薩

弓削等薩「四季耕作図屏風」(右隻)鹿児島県歴史資料センター黎明館

薩摩の雪舟系水墨画の流れを汲み、室町末期から桃山初期にかけて活躍した画僧に、大隅出身の等薩がいる。俗姓を弓削といい、弓削等薩と称した。また、雲谷等薩の表記もみられる。等薩に関しては、経歴や師弟関係を知るには資料が乏しく、画伝類にはしばしば異なった記述が見られる。

基礎文献のひとつ「画師的伝宗派図」には、等薩は「大隅人、入唐之僧也」と記され、秋月の門人に名を連ねている。しかし、雪舟門人の周徳、あるいは秋月門人の等坡が師であるとする文献もある。共通する記述としては、大隅出身であり、波月と号したということである。また、木村探元は『三暁庵主談話』のなかで「弓削等薩は国分素生の人にて、落命は田布施大野の地にて墓あり」と述べているが、墓は確認されていない。

等薩の代表作で、英国立ヴィクトリア美術館に所蔵されている「花鳥図屏風」の款記に「天正三年乙亥六月如意味日隅陽之産波月等薩六十歳書之」とあることから、生年は永正13年とみられ、少なくとも秋月門人説は否定されている。

掲載作品の「四季耕作図屏風」は、現在、鹿児島に残されている等薩の作品で、本来六曲一双の屏風だが、左隻は行方不明である。遠景と近景のバランスのよさに、構成力の非凡さが感じられる。

弓削等薩(1516-不明)
永正13年生まれ。大隅国出身の画僧で、俗姓は弓削、波月と号した。雲谷等薩の表記もみられる。画伝類に雪舟門人の周徳、秋月門人の等坡を師とする説などがみられ、明に渡ったという記述もある。花鳥図や山水図を得意としたと伝わっている。

鹿児島(5)-画人伝・INDEX

文献:薩摩の絵師、美の先人たち 薩摩画壇四百年の流れ、かごしま文化の表情-絵画編、薩摩画人伝、黎明館収蔵品選集Ⅰ