盛岡藩の四条派の絵師としては、沼宮内蘭渓や川口月嶺が知られている。四条派とは、円山応挙の門人・松村月渓(呉春)が、写実に洒脱さを付け加えて確立した画風で、江戸時代末期から明治時代にかけて盛岡城下を中心に藩内の主流を占めた。
沼宮内蘭渓(1799-1837)は、幼くして本堂蘭室に書画を学び、藩主・南部利済の側近をつとめた。文政12年に江戸に出て、書画、俳句を学び、さらに天保2年には京都に出て、岡本豊彦に入門し、社寺の扁額や屏風を盛んに模写した。作品としては、掲載の「美人図」(個人蔵)「人物図」(花巻市博物館蔵)のほか、岩手県立博物館所蔵の「鉄拐仙人図」などが知られている。
沼宮内蘭渓(1799-1837)ぬまくない・らんけい
寛政11年生まれ。通称は御杖、名は秀厚、璞、琢卿と名乗り、蘭渓、小山堂と号した。幼くして本堂蘭室に書画を学び、文政12年に藩主の南部利済に従って江戸に上り、書を市河米庵に、絵を鈴木南嶺に、俳句を児島大梅に学んだ。さらに天保2年には京都に出て、岡本豊彦に入門した。天保6年江戸で病気になり、盛岡に戻って療養し、療養中に俳句と絵画に親しんだ。門人に沼宮内桃斉がいる。天保8年、39歳で死去した。
岩手(9)-画人伝・INDEX
文献:盛岡藩の絵師たち~その流れと広がり~、青森県史 文化財編 美術工芸、藩政時代岩手画人録