江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

自然万象を師として独学し、21歳で文展に入選して注目された相川松瑞

相川松瑞「春景花鳥図」

相川松瑞(1894-1969)は、木彫家・相川松濤の二男として金沢市に生まれ、幼いころから画に親しみ、石川県立工業学校図案絵画科に入学したが、やがて中退し、自然万象を師として自然研究所を設立、「自然」の雅号を用いて独学で画を研究した。

その後上京し、21歳の時に文展に入選して注目を集めたが、大正12年の関東大震災を機に金沢に戻り、青々会絵画研究会、松瑞画会などを結成、北陸絵画協会、金城画壇展にも出品し、地元画壇の中心人物となって活躍し、戦後は石川の美術文化興隆に力を注いだ。

相川松瑞(1894-1969)あいかわ・しょうずい
明治27年金沢市油庫生まれ。本名は蔵太。別号に自然がある。父は木彫家の相川松濤。石川県立工業学校図案絵画科を中退し、自然を師として自然研究所を設立し画を独学した。その後上京し、大正3年第8回文展で初入選。大正11年前田家より依頼を受け紫野大徳寺の塔頭芳春院什物「伝相阿弥筆 釈迦・文殊・普賢三幅対」のうち「文殊菩薩」を臨模して献上した。大正12年関東大震災を機に金沢に引き上げ、青々会絵画研究会、松瑞画会などを結成し、北陸絵画協会、金城画壇展にも出品した。昭和6年、自費で「北陸美術館」を建設しようとし、その資金準備のため「自作屏風百双会」を開催頒布した。昭和44年、76歳で死去した。

石川(34)-画人伝・INDEX

文献:金沢市史資料編16(美術工芸)、石川の美術-明治・大正・昭和の歩み、新加能画人集成