菅創吉(1905-1982)は、兵庫県姫路市に生まれた。はじめ神戸で日本画の手ほどきを受けたが、ほとんど独習で画家への道を歩んだ。20歳のころから雑誌の図版カットや政治漫画などを描いたが、昭和13年に満州鉄道に入社し図案を担当。そのかたわら演劇にも興味を持った。
戦後本格的に創作活動を始め、昭和33年に東京銀座で初個展を開催し、その後も個展をたびたび開いた。昭和38年、58歳の時に渡米し、約10年間アメリカで制作し、晩年に多く見られる鉄や木などの廃品を使ったオブジェの制作もアメリカで始めた。
美術団体に属さず、個展を中心に発表を続け、諧謔的な抽象表現が多くの愛好家に支持された。昭和57年に池田20世紀美術館で開催されていた「菅創吉の世界」の会期中に77歳で没したが、没後もすどう美術館などで継続的に展覧会が開催された。
菅創吉(1905-1982)すが・そうきち
明治38年兵庫県姫路市生まれ。本名は彼末巳之助。大正9年姫路市男子高等小学校を卒業。はじめ秋吉蘇月に日本画を学び、のちに独習で画家への道を歩んだ。その後上京して講談社などのカットや政治漫画などを描いた。昭和13年満州鉄道牡丹江鉄道局に勤務。昭和20年中国から帰国。昭和22年神戸駐屯の進駐軍に勤務。昭和25年上京して毎日新聞社の嘱託となり漫画や挿絵を描いた。昭和33年初個展を東京銀座で開催。昭和38年から10年間アメリカに渡り、当地で制作し何度か個展を開き、帰国後も個展を中心に活動した。昭和57年、77歳で死去した。
兵庫(69)-画人伝・INDEX
文献:兵庫の美術家県内洋画壇回顧展、コレクションでたどる姫路市立美術館の25年、兵庫の絵画100年展