江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

パリで藤田嗣治から強い影響を受け制作した上山二郎

上山二郎「キャフェにて」

上山二郎(1895-1945)は、東京神田に生まれ銀座で育った。18、9歳頃から川端画学校に通い、大正9年同校の有志によって結成された「地平社」に銅版画を発表した。その後、日本創作版画協会主催の展覧会にも参加し、第4回展に出品したが、その翌月にはパリを目指して旅立っており、帰国後の版画作品は見られない。

大正11年3月、神戸から賀茂丸でフランスに向かった。のちにパリで行動をともにする板東敏雄(1895-1973)もこの船に乗っていたと思われる。パリでは、エコール・ド・パリの代表的画家として人気を博していた藤田嗣治を訪ね、藤田から強い影響を受けつつ制作に励んだ。当時藤田と接触した日本人画家は多くいたが、なかでも上山と板東、小柳正参考)が特に藤田の近くにいたという。

渡欧した年の秋にサロン・ドートンヌに入選し、その後もサロン・デ・ザルティスト・アンデパンダン、サロン・デ・チュイルリーなどで作品を発表するなど、順調なパリ生活を送っていたが、大正12年に関東大震災が発生したため、家族を案じた上山は早々に帰国を余儀なくされることとなった。

帰国した上山は、岐阜に疎開していた家族とともに知人の福井市郎を頼って兵庫県の芦屋に転居し、この地で吉原治良や長谷川三郎に多大な影響を与えるなど、関西の近代美術の展開において大きな役割を果たした。翌年再び渡仏したが、明治2年には帰国した。昭和4年に東京に移ったが、目立った活動もないまま次第に画壇から離れ、昭和20年、疎開先の八王子で急逝した。

上山二郎(1895-1945)かみやま・じろう
明治28年東京神田生まれ。川端画学校で洋画を学び、大正11年から15年までパリに留学し藤田嗣治の影響を強く受けた。サロン・ドートンヌ、サロン・デ・ザルティスト・アンデパンダン、サロン・デ・チュイルリーなどに出品した。その間一時帰国し大正13年二科展に初入選。昭和2年東京と大阪で渡欧作の個展を開催した。芦屋浜に住み若き日の吉原治良や長谷川三郎らと交流して感化を与えた。昭和4年東京に戻り、昭和6年赤坂に新興洋画研究所を設立し後進の指導にあたった。昭和20年、50歳で死去した。

板東敏雄「風景」

板東敏雄(1895-1973)ばんどう・としお
明治28年徳島県生まれ。本名は保。父親の転勤にともない大阪に移り画を学びはじめ、その後東京に移り川端画学校に通った。このころ上山二郎と知り合ったと思われる。大正7年第12回文展に初入選し、翌年の第1回帝展、その翌年の第2回帝展にも入選した。大正11年渡仏し、上山とともに藤田嗣治を訪ね影響を受けた。同年サロン・ドートンヌに入選し、その後もサロン・デ・ザルティスト・アンデパンダン、サロン・デ・チュイルリーなどに出品した。フランス人女性と結婚し、終生パリで制作した。昭和48年、78歳で死去した。

兵庫(49)-画人伝・INDEX

文献:兵庫の美術家県内洋画壇回顧展、芦屋の美術、兵庫県立美術館所蔵作品選、上山二郎とその周辺