昭和5年、新時代の美術を目指す気鋭の画家たちが、既成画壇からの独立を標榜して、新団体「独立美術協会」を結成した。この美術界の注目を集めた新団体に、27歳の最年少会員として参加したのが、北海道の若い画家たちに大きな影響を与えた三岸好太郎である。三岸は、31歳で急逝することになるが、その間、次々と画風を変貌させながら独自の絵画を追究するとともに、北海道独立美術作家協会結成に指導者的立場で参画するなど、同じ傾向にすすむ同郷の後輩の画家たちの支援も積極的に行ない、短く終わった生涯を濃密に駆け抜けていった。
札幌に生まれた三岸好太郎(1903-1934)は、札幌第一中学校を卒業後、17歳の時に画家を志して、友人の俣野第四郎とともに上京、さまざまな職につきながら独学で絵を学んだ。大正12年、およそ50倍の厳選を通過して第1回春陽会展に初入選、翌年の第2回展では春陽会賞を首席で受賞し、一躍画壇の寵児として注目を集めることとなった。この年に、女子美術学校を卒業した吉田節子(洋画家・三岸節子)と結婚、画家生活は順調に始まったかに見えたが、すぐに陰りを見せ始める。翌年の第3回展に出品した作品が酷評を受け、一方で同展に初入選した節子夫人の作品は好評を得た。三岸は、この年、胃潰瘍による最初の吐血に見舞われている。さらに第5回、6回、7回展と酷評が続き、三岸はこのころ自筆年譜に「スランプに墜る」と記している。
スランプを脱し、新境地へと向かう契機となったのは、大正15年に友人と出かけた生涯唯一の海外旅行となる中国への旅だった。中国各地を巡り、上海でサーカスを見たことが、のちの「道化シリーズ」の誕生につながった。昭和3年ころからは集中して道化やマリオネットを描くようになり、第7回春陽展に出品した「少年道化」が久々に好評を得て、その後も道化は主要なテーマになった。昭和5年に結成された独立美術協会も、創立会員のほとんどが渡欧経験のある二科会の画家だったのに対し、27歳の三岸が春陽会で唯一創立メンバーに推されたのも、この「道化シリーズ」の清新な魅力が決め手だったとされる。その後、三岸は、独立展を舞台に大作や意欲作を次々と発表していく。
上京以来ずっと東京を拠点としていた三岸だが、故郷・札幌をこよなく愛し続け、札幌に帰ると「水を得た魚のようだった」という。札幌での制作発表にも力を入れており、特に昭和7年は夏から秋にかけて長期滞在し、豊平館での個展の開催、ロサンゼルス・オリンピックの金メダリスト・南部忠平を描いた作品の制作と寄贈、工芸品の制作と工芸振興のための展覧会開催準備、講演会やラジオ講座の講師、洪水被災地の視察、新聞などへの執筆など、目覚しく活動した。画風の大きな転換が、いずれも札幌に長期滞在した直後であったことから、故郷は三岸にとって鋭気を養う場であったと思われる。
この年の札幌長期滞在のころから、三岸が前衛絵画を意識し始めていることがその行動からうかがえる。昭和8年には多くの画論を発表し、次々と絵画上の新しい実験に乗り出すようになった。また、同年開催された「巴里・東京新興美術展」のフランス絵画の先鋭的動向にも刺激され、三岸の画風は大きく前衛へと傾いていった。独立第3回、第5回展には、ひっかき技法で描いた「オーケストラ」を出品、その後も幾何学的な構成、コラージュの試作など、独自の絵画を求めて変貌を重ね、あまりに先鋭的な作風展開に、画壇では賛否両論が巻き起こったという。
昭和8年から9年にかけては、海と空のみからなる作品を集中的に描き、さらに蝶と貝殻を題材に描くようになる。自作の詩「蝶と貝殻(視覚詩)」と一体化した幻想的な画面を創り出し、独立展出品作に続いて素描画集『筆彩素描集 蝶と貝殻』も手掛けている。その後もさらなる変貌への意欲を表すとともに、建築にも興味を示し、新しいアトリエの設計をドイツのバウハウス留学から帰国した山脇巌に依頼し、自らも多くのアイデアを出していたが、そのアトリエの完成を見ることなく、旅先の名古屋で31歳で急逝した。
三岸好太郎(1903-1934)みぎし・こうたろう
明治36年札幌生まれ。札幌第一中学で林竹治郎に学んだ。同校卒業後、俣野第四郎と上京し、独学で絵画を学んだ。大正11年第3回中央美術展入選。大正12年第1回春陽展初入選、翌年同展で春陽会賞を受賞。同年、横堀角次郎、倉田三郎ら春陽会の若手出品者6名で麗人社を結成。大正14年春陽会無鑑査、同年上海、蘇州、杭州などを旅行。昭和5年独立美術協会の創立に参加した。昭和8年には独立展関連の活動で各地を訪れ、札幌では北海道からの独立展出品者のグループ「北海道独立美術作家協会」結成に指導者的立場で参画した。昭和9年、31歳で死去した。
北海道(26)-画人伝・INDEX
文献:生誕110年三岸好太郎展、風土を彩る6人の洋画家たち、北の夭折画家たち、北海道美術の青春期、林竹治郎とその教え子たち、北海道の美術100年、美術北海道100年展、1930年代の青春、北海道美術史