江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

館林を中心に東毛地方に多くの絵馬を残した北尾重光

北尾重光「大工図」館林市赤城神社
当時の人々のくらしや生業の様子を描いた生業図は、北尾重光の絵馬の特徴のひとつで、かつての人々の生活の実情をうかがい知ることができる。

江戸に生まれた北尾重光(1814-1883)は、北尾派の門に入り浮世絵を学び、法橋に叙された。25歳頃から館林城下に近い田町(館林市本町三丁目)に住み、求めに応じて画筆を振るい、のちに店舗を構えて各種の幟や絵馬を描くことを生業とした。

重光の絵馬は、歴史や伝説・故事を題材にした武者絵や、拝み図や参詣図、例祭図など多岐にわたり、なかでも人々のくらしや生業の様子を描いた生業図は、当時の農業や商業の様子が詳細に描かれており、かつての人々の生活の実情をうかがい知ることができる。

館林を中心に館林藩領だった埼玉県の一部や栃木県の一部の社寺に奉納され、特に、館林市や明和町に多く分布している。その数は300以上といわれているが、風化などにより作者が確認できない絵馬も多く、現在確認されているものは130点ほどとされる。子の重輝も絵を生業としたが、のちに館林を去り、宇都宮近辺に住んだといわれている。

北尾重光(1814-1883)きたお・しげみつ
文化11年江戸生まれ。北尾派の門に入り浮世絵を学び法橋を授けられた。号は渓斎。天保9年頃、筆禍により江戸を追われ館林城下に近い田町(館林市本町三丁目)に住み、店舗を構えて各種の幟や絵馬を描くのを生業とした。300点以上の絵馬が館林を中心に東毛地方に残されている。なかでも館林市尾曳稲荷神社(尾曳町)、赤城神社(足次)所蔵の絵馬は市の重文に指定されている。明治16年、71歳で死去した。

群馬(06)-画人伝・INDEX

文献:北尾重光の絵馬-人々の願いと感謝、群馬県人名大事典