星暁村は、会津若松城下の城郭外、当時の下町にあたる融通寺町の商家に生まれた。文雅を好み、商売は好まず、幼くして遠藤香村の門に入り、30余年にわたって香村のもとで四条派の技法を学んだ。この間、仙台の松島、千賀の浦をはじめ、各地の名勝を写生して廻った。香村の没後は師の画風を継ぎ、門下生は数十人に及んだという。
安政5年には京に上り、仁和寺法親王に画を献じ、法橋に叙された。画業のほかに、藩士の野矢常方に学び、和歌をよくし、歌人の香川景嗣や大田垣蓮月らと広く交遊した。
星暁村(1816-1900)ほし・ぎょうそん
文化13年融通寺町生まれ。家業は商家。名は朗、字は所明、通称は旧七。別号に薫園、滴声舎などがある。幼いころから画を好み、遠藤香村から四条派の絵を学び、野矢常方から和歌を学んだ。安政5年法橋に叙された。明治33年、85歳で死去した。
福島(16)-画人伝・INDEX
文献:会津人物事典(画人編)