江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

福井の奇祭「馬威し」の絵で知られた菱川師福

菱川師福「絹本馬威図掛軸」

江戸時代半ばから福井城下で行われていた「馬威し」(または左義長馬)は、左義長に関連する小正月の行事で、旧暦の正月14日、馬に乗って桜門から城外に向けて疾走する武士たちを、町民・農民たちが鳴り物や旗で馬を脅したりしてなんとか止めようと攻防を繰り広げる祭りで、年に一度、日常的な社会秩序を打ち壊すかのように民衆のエネルギーが発散される場だった。

この福井の奇祭「馬威し」の絵を得意とした絵師としては、明治から大正期にかけて活躍した菱川師福(1845-1941)が知られている。師福は、福井の商家に生まれ、福井の四条派の絵師・早瀬来山に画を学んだ。幕末期には松岡の荒物屋の婿養子となったが、その後福井に戻り画業に専念し、明治32年には福井県知事から福井の菱川師宣という意味で名づけられた「菱川師福」の号を贈られた。

菱川師福(1845-1941)ひしかわ・もろよし
弘化2年福井上三ツ橋(現在の福井市照手)生まれ。商家西尾仁左衛門の六男。名は儀平、幼名は十四月、豊吉。幼いころから玩具の彩色や凧絵を描いて家計を助け、その後早瀬来山に師事した。慶応2年吉田郡松岡村の小倉家(神崎屋)の養子となったが、その後福井に戻って画業に専念した。明治32年福井県知事の関新吾から福井の菱川師宣という意味で「菱川師福」の号を贈られた。風俗人物画をよくした。昭和16年、97歳で死去した。

福井(19)-画人伝・INDEX

文献:菱川師福翁記念文庫展、夢楽洞万司の世界