江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

画人として大成した福井藩士・島田雪谷

島田雪谷「桜花群禽図」福井市立郷土歴史博物館蔵

島田雪谷(1828-1884)は、はじめ岩尾雪峯に四条派を学び、のちに同派の横山清暉に師事した。前藩主の松平慶永と藩主の茂昭に画家としての才能を認められて庇護を受け、多くの門人を育てた。長男の雪湖と二男の墨仙も画家となった。

師の岩尾雪峯(不明-1852)は、藩の専門絵師ではなかったが、画技を認められ、藩の御用にも加わっていたとみられる。江戸詰の折には藩邸の襖絵を描いており、重臣酒井外記の絵の指南にも当たっていた。

島田雪谷(1828-1884)しまだ・せっこく
文政9年福井生まれ。福井藩士。名は広意、字は樗園、通称は範左衛門、または多司摩。別号に青涯がある。福井藩士で画人の岩尾雪峯に四条派を学び、のちに同派の横山清暉に師事した。また礀西涯に南画を学んだ。安政元年に家督を相続し、広敷添役などの公務に服しながら藩邸の障屏画を描き、画業に精進した。春嶽、茂昭の両藩主に仕え、江戸藩邸の障壁画を描いた。維新後は画家として活動し、第1回全国絵画共進会に作品を出品した。子に日本画家の島田雪湖、墨仙がいる。明治17年、57歳で死去した。

岩尾雪峯(不明-1852)いわお・せっぽう
福井藩士。通称は周助、諱は博貞。別号に洞泉、養拙軒がある。早瀬蘭川に師事した。天保七年に福井藩が制作した「越前国之図」に御用掛18人が裏書されているなかに御絵師手伝として名をつらねている。当時預所元締役下代の地位にあったことから専門絵師ではなかったが、画技を認められて臨時に絵師手伝に加えられたとみられている。嘉永5年死去した。

福井(10)-画人伝・INDEX

文献:桃山の色 江戸の彩 福井ゆかりの近世絵画、郷土画家とその関連門流展