越前敦賀を中心に活躍した画派に橋本派がある。初代の橋本長兵衛(不明-不明)は曾我派の流れを汲むとされ、鷹図を得意とした。二代長兵衛も初代と同様に鷹図を得意とし、小浜藩主の御用をつとめた。二代目没後は三代仙桂がその跡を継いだ。ほかに橋本姓を名乗る画家として、仙渓、晴信、義顕、義信、守晴らが知られているが、長兵衛の画系とのつながりは不明である。
橋本長兵衛(初代)(不明-不明)はしもと・ちょうべえ
越前敦賀の人。本姓は渡辺。はじめ喜右衛門と称した。一説に字は本久で、喜雲と号したとされる。鷹図を得意とした。作品に妙心寺の固巌瑞堅や、海山元珠、南禅寺の文英清韓の賛があることから、慶長年間を中心に活躍したと考えられている。また、人物画には海北友松の影響がみられる。
橋本長兵衛(2代)(不明-1647?)はしもと・ちょうべえ
越前敦賀の人。字が本次で浄清と号したと伝わっている。初代橋本長兵衛を継ぎ、初代と同様に鷹図を得意とした。寛永13年小浜藩主酒井忠勝が日光東照宮に奉納した架鷹図扁額を描いた。作品は曾我二直庵の影響が指摘され、「越前敦賀」と「橋本」の2印の画中に捺している。正保4年頃死去した。
福井(04)-画人伝・INDEX
文献:桃山の色 江戸の彩 福井ゆかりの近世絵画、郷土画家とその関連門流展、館蔵逸品図録(敦賀市立博物館)、越前朝倉の絵師たちと李朝絵画展