江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

小華へと続く崋椿の流れ

渡辺小華「渉園九友図」

多くの崋山・椿山門下生を輩出している遠州画壇にあって、渡辺崋山の子であり、崋山没後は福田半香がひきとり椿椿山が指導した渡辺小華へと流れが続いていくことは自然なことだった。遠州画壇を盛り上げた小華門下には、飯塚香山、山本愛山を筆頭に、跡見復山、吉川如水、水野梅崖、飯塚哲斎、大塚半山、小山汪水、村松小洲、大竹湘堂ら、そして「東海道における小華系花鳥の雄」と称された山下青厓がいる。ここではネット検索で詳細が出てこない下記の画家を紹介する。

吉川如水(1858-1935)よしかわ・じょすい
安政5年5月20日生まれ。岩田郡中泉の人。通称は由郎、別号に舒翠、如翠、午道人、澹庵がある。山水に長じていた。昭和10年11月3日、78歳の時に名古屋で死去した。

村松小洲(不明-不明)むらまつ・しょうしゅう
小笠郡掛川町の人。初め小邨と号した。福田半香に学んだ村松白華の子。

水野梅崖(1849-1921)みずの・ばいがい
嘉永2年生まれ。名は轉、通称は源市、別号に葦昌、茅春、乕信、桜湖、永照堂斎などがある。初め水野真邦および祖父の梅川に学び、さらに吉田柳蹊に学び、長じて小華の門に入った。山水に長じている。大正10年4月23日、73歳で死去した。

大塚半山(1846-不明)おおつか・はんざん
弘化3年榛原郡初倉村生まれ。名は宜逸。浜名郡役所の課長をながく勤め、のち庵原郡長となった。幼くして福田半香に学び、のちに大草水雲に学んだが、長じて小華の門に入った。静岡の丹青社の同人でもあった。

大竹湘堂(不明-不明)おおたけ・しょうどう
磐田郡福田町の人。

白井小石(不明-不明)しらい・しょうせき
浜名郡白須賀町の人。

兼子東雨(1862-不明)かねこ・とうう
文久2年10月10日小笠郡掛川町生まれ。別号に小華堂がある。俳号は雨来。

遠州(6)画人伝・INDEX

文献:遠州画人伝