江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

狩野派唯一の「村狩野」・今村道之進

文化文政の頃、東予一帯で活躍した狩野派の画人に今村道之進(1761-1830)がいる。道之進は、宝暦11年宇摩郡中曽根村に生まれ、21歳の時に京都に出て、狩野探幽の流れを汲む京都鶴沢派に学び、27歳で帰郷した。その後は、天保元年に70歳で没するまで、地元の中曽根村にとどまり、大庄屋、庄屋、寺社、商人の求めに応じて多くの絵を描いた。江戸、京都、大坂などの大都市で、幕府や藩に仕えず活動した狩野派の画人を「町狩野」と呼んでいるが、道之進のように生涯農村で活動した狩野派の画人は前例が見られないことから、道之進のことを「村狩野」と呼ぶ研究家もいる。今村家は、道之進の代まで三代にわたって画を描いている。師系は不明だが、地元の寺院に作品を残している今村義広、京都の鶴沢探山に学んだ今村義衡、探山の子・鶴沢探鯨に学んだ今村義比らが資料に残っている。

今村道之進(1761-1830)
宝暦11年宇摩郡中曽根村生まれ。名は義種。天明元年、21歳の時に京都に出て27歳までの長期にわたって江戸狩野の狩野探幽の流れを汲む京都鶴沢派の鶴沢探索の門に入って狩野派の画法を修めた。道之進が京都の画道修業の成果として郷里に持ち帰った粉本や日記類は千点を超すといわれる。道之進は、没するまで中曽根村にとどまり、狩野派の画人として宇摩地方の寺院や近隣の作画依頼に応じて、襖絵、屏風絵、天井画などを描いた。天保元年、70歳で死去した。

今村義広(1653-1726)
承応2年生まれ。今村道之進の曽祖父。今村本家の当主。今治藩の大庄屋をつとめていた。号は松嶺斎。師系は不明だが、仏画を好んで描き、地元の寺院に納めた。作品の一部が地元に伝わっている。享保11年、74歳で死去した。

今村義衡(1691-1738)
元禄4年生まれ。今村道之進の祖父。義広の四男。今村家から分家した。号は幽山斎守義。京都の鶴沢探山に学んび、武者絵を得意とした。今村家に残っている粉本の中に武者絵の絵馬の写しが残っている。元文3年、48歳で死去した。

今村義比(1714-1786)
正徳4年生まれ。今村義広の孫。今村本家の当主。諸芸に通じ、画は鶴沢探鯨に学び、いろいろな寺社に作品を奉納したと伝えられ、今も作品や粉本が残っている。天明6年、73歳で死去した。

愛媛(6)画人伝・INDEX

文献:愛媛の近世画人列伝-伊予近世絵画の流れ-、人づくり風土記 38 愛媛