魚住荊石「夏山林泉図」
魚住荊石(1799-1880)は、越後古志郡和泉村(現在の新潟県長岡市)に生まれた。幼いころから画を好み、17歳で江戸に出て谷文晁に師事した。同門に高久靄厓がいた。諸国を遊歴したのち、大坂に移住して魚住氏を継いだ。中西耕石と親交を持ち、大いに画格をあげたという。晩年は手の震えが止まらないこともあったが、それがかえって画品奇なりと賞されたという。
魚住荊石(1799-1880)うおずみ・けいせき
寛政11年越後古志郡和泉村生まれ。本姓は上田。名は毅、字は仲弘、または子剛、通称は宗左衛門、または宗兵衛。別号に葭浦、聴山、鴎陂(波)、壽門、越泉などがある。江戸で谷文晁に師事した。淡路町および南江戸堀で暮らし、山水、人物、花鳥を幅広く描いた。生年は享和2年(1802)説もある。明治13年、82歳で死去した。
大阪(76)-画人伝・INDEX
文献:近世大阪画壇、大阪人物誌巻4、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、近世の大阪画人