江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

江阿弥ら大岡春卜の跡を継いだ大岡派の画人

江阿弥「和歌浦図屏風」(上・左隻、下・右隻)

大岡春卜の跡を継ぎ、大岡派と称された画人としては、幼いころから春卜に学び画才を認められて養嗣子となった大岡春川をはじめ、江阿弥と号した大岡春卜、須賀蘭林斎、春川の長男・嘯川らがいる。

江阿弥(1693-1765以後)は、経歴は不明な部分が多いが、春卜の弟子と伝わっており、狩野派系統の障壁画が少数伝わっている。播磨国出身の可能性もあるが、延享5年刊行の『難波丸網目』には、天満小島町に暮らしていたと記されている。

兵庫県高砂神社に絵馬が2例残されており、その落款などから延享元年以前には法橋位になっていたと思われる。さらに『厳島絵馬鑑』には、宝暦12年の「神馬図額」に法眼江阿弥画とあることから、最終位は法眼と思われる。

掲載の「和歌浦図屏風」は、左隻に紀三井寺を大きくとらえ、右隻に左下から観海楼、玉津島神社、紀州東照宮、和歌浦天満宮と片男波海岸を配置した和歌浦の名所を手際よくまとめた作品で、実景に近い描写がなされている。

江阿弥[大岡卜信](1693-1765以後)こうあみ[おおおか・ぼくしん]
元禄6年生まれ。大岡卜信とも大岡江阿弥とも名乗った。名は卜信。号は江阿弥、翠松庵、春江。姓は安村か。天満小島町に住んでいた。大岡春卜の弟子と思われる。延享元年以前に法橋位、宝暦12年以前に法眼位を得ている。宝暦年間、厳島に神馬額を奉納した。明和2年以降に死去した。

大岡春川(1719-1773)おおおか・しゅんせん
享保4年生まれ。名は甫政。字は春川。号は芙蓉斎。播州の名族有元氏の出身。若年の頃から大坂で大岡春卜に画を学び、画才を認められて春卜の養嗣子となった。以後家名をおとさず嵯峨親王と近衛相公から愛顧を受け、明和元年法橋に叙され、その後法眼となったと思われる。安永2年、55歳で死去した。

須賀蘭林斎(不明-1806)すが・らんりんさい
大坂の人。名は尚卜または常政。号は蘭林斎。俗称は与市または与一。菅氏とするものもある。大岡春卜に画を学んだ。博労町筋金田町に住んだ。文化3年死去した。

大岡嘯川(1769-1836)おおおか・しょうせん
明和6年生まれ。名は政董。字は嘯川。大岡春川の長男。安永6年以前に法橋に叙された。天保6年、67歳で死去した。

大岡道信(不明-不明)おおおか・どうしん
大坂の人。大岡春卜の門人。経歴は不詳。

大岡春山(不明-不明)おおおか・しゅんざん
名は長興。号は春山、白桃斎。寛政2年頃に法橋に叙された。大岡春次という人物とともに文化頃の大岡派と目される画人だが、誰の門人かはわかっていない。

大阪(03)-画人伝・INDEX

文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇、浪華人物誌、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、大阪名家著述目録、近世の大阪画人、大坂画壇の絵画