左:野呂介石「天地石壁図」、右:野呂介石「枸杞図」
池大雅に師事したものとしては、大坂の酒造業者で好事家として知られる木村蒹葭堂、最も古い赤富士図を描いたとされる紀州藩の野呂介石、紀州の廻船業者で事業のからわら画法を研究した桑山玉洲、大坂における南画壇隆昌の先鞭をつけた福原五岳らがいる。また、ともに登山を楽しんだ友人の韓天寿、その天寿が媒酌人となって結婚した妻の池玉瀾、大雅没後は玉瀾が居る大雅堂に住み大雅堂二世と称した青木夙夜らも大雅に学び書画をよくした。
彼らは大雅の影響を受けながら、南宗画様式に基づき、それぞれに持味のある南画を描いた。また中国の画史画論の類にも通暁し、南画関係の著書も残している。
一方、与謝蕪村の南画の弟子としては、蕪村に師事し「近江蕪村」と称された紀楳亭や四条派の祖となる呉春がいる。蕪村はとくに呉春に期待していたが、蕪村没後、呉春は円山応挙に接近して写生画に転向してしまう。
木村蒹葭堂(1736-1802)きむら・けんかどう
→古今の珍品を多数収蔵した好事家として知られ、大坂の初期南画家の育成にも指導的役割を果たした木村蒹葭堂
野呂介石(1747-1828)のろ・かいせき
→最も古い赤富士図を描いた画家・野呂介石
桑山玉洲(1746-1799)くわやま・ぎょくしゅう
→紀州三大南画家・桑山玉洲の画業と画論
福原五岳(1730-1799)ふくはら・ごがく
→大坂における南画壇隆昌の先鞭をつけた福原五岳
韓天寿(1727-1795)かん・てんじゅ
池玉瀾(1728-1784)いけ・ぎょくらん
青木夙夜(不明-1802)あおき・しゅくや
→池大雅と韓天寿
紀楳亭(1734-1810)き・ばいてい
→与謝蕪村に師事し「近江蕪村」と称された紀楳亭
京都(91)-画人伝・INDEX
文献:日本の南画、京都画壇の一九世紀