江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

平安時代から続く巨勢家の末裔・巨勢小石

巨勢小石「大塔宮図」東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館蔵

巨勢小石(1843-1919)は、京都で平安時代から続く絵仏師の画系・巨勢家の末裔とされ、巨勢家の祖・金岡の「三十八世孫」を自称した。祖父に仏画を学び、のちに岸派の岸連山、南画の中西耕石に学んだ。若いころから京都と東京を往来するなど旅をよくし、明治11年には清に渡航し文人墨客と交流した。

中国からの帰国後、幸野楳嶺久保田米僊らとともに画学校の設立を京都府知事に建議し、明治13年の京都府画学校開設に際しては南宗に出仕し、のちに教員となった。また、小学校で毛筆画教育が始まるにあたっては、明治21年に京都初の日本画教科書『小学毛筆画帖』を著し、初等美術教育に大きな影響を与えた。

明治23年、岡倉天心に請われて東京美術学校の大和絵系担当教授となり京都を離れたが、京都画壇の画家として内国勧業博覧会など各種展覧会に出品して受賞を重ねた。明治27年の東京美術学校退職後は京都に戻り、明治29年の日本南画協会の創立に参画するなど京都画壇の指導者的立場で美術振興に貢献し、一方で皇室関係の絵画制作などにも携わった。

巨勢小石(1843-1919)こせ・しょうせき
天保14年京都生まれ。本名は八田金起、通称は八田久左衛門。父は金親、祖父は金彦とされ、系図をもとに巨勢家の祖・巨勢金岡の38世孫(34世とも)を自称した。はじめ岸連山につき、のちに中西耕石に南画を学んだ。明治11年清に遊学。明治13年京都府画学校に出仕、のちに教員になった。明治15年第1回内国絵画共進会で絵事功労褒状を、明治17年第2回展では銅賞を受賞した。明治23年東京美術学校の大和絵の教授となり、同年第3回内国勧業博覧会で2等賞を受賞。明治26年シカゴ・コロンブス万国博覧会で受賞。明治27年の東京美術学校退職後は京都に戻り、明治29年に日本南画協会の創立に参画するなど京都の美術振興に貢献した。大正8年、77歳で死去した。

京都(145)-画人伝・INDEX

文献:近代京都日本画史、日本画家人名事典