江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

父蘭洲とともに応挙に師事した吉村孝敬

吉村孝敬「唐獅子図」プライスコレクション

吉村孝敬(1769-1836)は、円山応挙門下の吉村蘭洲の子として生まれた。父と同じく、はじめ狩野派の石田幽汀に学び、のちに応挙に師事し、応挙門下十哲に数えられるようになった。応挙晩年の弟子のひとりで、応挙が65歳で没した時、孝敬はまだ26歳で、応挙一門が参画した天明7年と寛政7年の大乗寺の障壁画制作にはまだ参加を許されていない。

若いころの活動はほとんど分かっていないが、幼いころから父とともに西本願寺に出入りしていたと思われ、35歳で茶道格となり、西本願寺に襖絵を残している。同襖絵は、桃山的な大画形式を踏まえつつも応挙の表現法に倣ったもので、伝統的な狩野派の画法や応挙の写生画を消化して独自の写生画を確立したことがうかがえる。

上記の「唐獅子図」は、空想の動物・唐獅子を題材にしたもので、唐獅子は伝統的に巻き毛のたてがみが特徴的に描かれてきたが、本図は全身を覆うように円山派伝統の細密な毛描きがなされている。

また、下記の「施薬院解男体図」は、寛政10年2月、施薬院の三雲環善と山脇東海が主宰し、小石元俊の指導のもと行なわれた解剖に、蘭洲・孝敬親子と応挙の二男・木下応受が立ち会ってその様子を記録したもので、31歳で最も若かった孝敬が中心的役割を果たしたと思われる。

吉村孝敬「施薬院解男体図」京都大学附属図書館蔵

吉村孝敬(1769-1836)よしむら・こうけい
明和6年生まれ。吉村蘭洲の長男。本姓は源、名は孝敬、字は無違、通称は用蔵。号は蘭陵、龍泉。石田幽汀、円山応挙に学び、応挙門下十哲のひとりに数えられた。西本願寺の本如上人に仕え、享和2年「茶道格」を賜った。西本願寺に障壁画が伝わっている。天保7年、68歳で死去した。

吉村蘭洲(1739-1816)よしむら・らんしゅう
元文4年滋賀県野洲村生まれ。農業を営む西川権三郎の子。名は彜徳、字は子秉。幼年より寺院に仕えて絵師になったことが知られ、石田幽汀、円山応挙に学び西本願寺絵師となった。人物・花鳥画を得意とした。文化13年、78歳で死去した。

京都(104)-画人伝・INDEX

文献:円山応挙から近代京都画壇、京都画壇の一九世紀(2)、プライスコレクション若冲と江戸絵画