駿河台狩野家に学んだ土佐の画人として、柳本洞素と同時代に活躍した宮田洞雪(1828-1897)は、駿河台狩野八代・狩野洞春陽信に師事したのち、諸国を遊歴している。明治17年のパリ万国博覧会には狩野派の高知県代表として出品したことで知られる。門人には、長年「土陽新聞」の挿絵を描いた沖野一秋のほか、河野棹舟、二代北村佐久馬、池内秋峰らがいる。
宮田洞雪(1828-1897)
文政11年、現在の高知市に生まれた。通称は省吾、本名は由之。別号に東雪がある。はじめ横川洞雪と名乗ったときもある。安政5年に江戸に出て、駿河台狩野八代の狩野洞春陽信に師事したのち、東京、大坂、京都、四国各地を歴遊、絵馬や軸物を各地に残している。特に南国市十市の琴平神社にある絵馬「川中島両雄相打ち図」は傑作とされる。明治31年、70歳で死去した。
沖野一秋(1867-1945)
慶応3年、現在の高知県香美市土佐山田町に生まれた。河野棹舟らと宮田洞雪に師事した。明治23年、大阪に出て土陽新聞の挿絵を描いていた藤原信一に師事、帰郷後は18年間土陽新聞の挿絵を描いていた。土陽美術会にも参加した。河野棹舟、小松應春、島内松南、下司凍月らと交遊した。昭和20年、79歳で死去した。
河野棹舟(1868-1945)
明治2年、現在の高知県香美市に生まれた。本名は孝敏。はじめ宮田洞雪に学び、のちに京都に出て菊池芳文に学んだ。明治26年の土佐品評会、27年の奈良博覧会、28年の第4回四国勧業博覧会、29年の日本絵画共進会に出品。帝国絵画協会、土陽美術会にも参加していた。昭和20年、78歳で死去した。
北村佐久馬(2代)(1883-1957)
明治16年高知市生まれ。紺屋を家業とする初代北村佐久馬の長男。幼いころから宮田洞雪、南部錦溪に画を学び、父について染織を学んだ。14歳の時には二代目北村佐久馬を龍名。日露戦争に従軍し、旅順より生還した後は家業に専念した。染織作品には旦雪、日本画には錦陽の号を用いた。昭和32年、75歳で死去した。
高知(9)-画人伝・INDEX