白石探隠は木村探元の晩年の門人とされ、探元に学んだのち、江戸に出て鍛冶橋狩野家の探常、探林の2代にわたって師事したとされる。探元晩年の口述筆記である『白鷺洲』には、江戸にいる探隠からは絵の事について何も言ってこないが、江戸の師匠よりもはるかに良いと記されており、探元が探隠を高く評価していたことがうかがえる。
探隠の作品としては、唯一「猿猴捉月図」(掲載作品)が残っている。この作品は、猿が手を伸ばして月をとろうとしている場面を描いたもので、むやみに大望を抱くことを戒める意味があり、古くから多くの絵師が描いている画題である。
白石探隠(不明-不明)
薩摩藩の絵師。名は守辰、通称は幾右衛門。木村探元に学んだのち江戸に行き、鍛冶橋狩野家の探常、探林の2代にわたって師事したと思われる。島津家25代重豪と探元の間の伝達役をつとめており、宝暦11年、重豪が探隠を遣わして、探元に茶器古筆類の珍品があれば献上せよという命を伝えていることから、このころには帰郷していたと思われる。
鹿児島(14)-画人伝・INDEX
文献:黎明館収蔵品選集Ⅰ、鹿児島市立美術館所蔵作品選集、薩摩の絵師、美の先人たち 薩摩画壇四百年の流れ、かごしま文化の表情-絵画編、薩摩画人伝、薩摩の書画人データベース