津高和一(1911-1995)は、大阪市に生まれ、幼少期に兵庫県西宮市の津高家の養子となった。16歳頃から詩作を始め個人詩誌「貎」を創刊、のちにシュルレアリスム傾向が強い詩の研究会「神戸詩人」の同人となった。
昭和14年頃から大阪の中之島洋画研究所で画を学び、昭和21年、35歳の時に行動美術協会の第1回展に出品し、昭和27年に会員となり、昭和40年に退会するまで主な発表の場とした。
初期には人物を簡易なフォルムにより線描した作品を制作していたが、昭和21年に現代美術懇談会(ゲンビ)の結成に参加した頃からにじみやぼかしを使った詩的感覚漂う純粋抽象へと向かった。詩作も続け詩画集も発表した。昭和43年からは大阪芸術大学で後進の指導にもあたった。
津高和一(1911-1995)つたか・わいち
明治44年大阪市生まれ。昭和2年頃から詩作を始め、個人雑誌「貌」を創刊。その後「神戸詩人」の同人として詩を発表した。昭和14年頃から中之島洋画研究所で学んだ。昭和21年第1回行動美術協会展に出品、以後毎年出品を続け、昭和27年会員となった。同年現代美術懇談会(ゲンビ)の結成に参加、この頃から純粋抽象へと移行した。昭和30年吉原治良らと国際アートクラブ関西支部を創立した。サンパウロ・ビエンナーレやヨーロッパ巡回日本現代美術展など内外の展覧会に出品し、昭和33年第3回現代日本美術展で優秀賞を受賞した。昭和40年行動美術協会を退会。昭和43年大阪芸術大学美術学科教授に就任。昭和40年西宮市民文化賞、昭和42年兵庫県文化賞、昭和61年大阪芸術賞を受賞。平成7年、阪神・淡路大震災により83歳で死去した。
兵庫(71)-画人伝・INDEX
文献:津高和一・泉茂・吉原英雄展、兵庫県立美術館所蔵作品選、コレクションでたどる姫路市立美術館の25年、兵庫の絵画100年展