江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

源氏流いけばなを創始し一世を風靡した千葉龍卜

千葉龍卜「牡丹に猫図」神戸市立博物館蔵

千葉龍卜(不明-1800or1808)は、播州赤穂有年原(現在の赤穂市有年原)の明源寺に生まれた。華道を本業とし、京都・大坂を経て江戸に出て「源氏流いけばな」を創始して一世を風靡した。画も巧みで、江戸で宋紫石らと交流し、長崎派ふうの画を描いた。

しかし、田沼時代が終わり松平定信による寛政の改革が始まると、龍卜の華々しい活躍にも翳りがみえはじめ、寛政8年に大和郡山藩主・柳沢保光に源氏流免許状を与えたのを最後に行跡がわからなくなった。一説によると明源寺に戻ったともいわれている。

江戸では龍卜一代で終わった源氏流だが、西播磨ではその活動が幅広く継承され、赤穂では松翁斎龍三や松声斎大嶋宗丹、龍野では暁雲斎円尾遊龍の名が知られている。赤穂の松翁斎龍三は龍卜の孫にあたり、明源寺の境内には龍三の顕彰墓が建てられている。

千葉龍卜(不明-1800or1808)ちば・りゅうぼく
播磨国赤穂有年原(現在の赤穂市有年原)の明源寺生まれ。僧名は了雅。名は胤綱、松翁斎と号した。宝暦7年法橋に叙された。京・大坂を経て江戸に出て源氏流いけばなを創始し、江戸生花様式成立への先駆的役割を果たした。宋紫石ら画人との交流のなかで画技を学んだと思われる。著書に『源氏活花記』『活花百瓶図』『生花枝折抄』『百器図解』などがある。没年は『千葉氏系統略図』によれば文化5年(1800)、『源氏活花図式』によれば寛政12年(1808)。

兵庫(09)-画人伝・INDEX

文献:神戸・淡路・鳴門 近世の画家たち