江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

UAG美術家研究所

父又兵衛の跡を継ぎ福井藩につかえた岩佐勝重

岩佐勝重「猿猴芦雁図」東京国立博物館蔵

岩佐又兵衛没後は、子の岩佐勝重(不明-1673)が岩佐派を継いで、狩野派と並んで福井藩の御用絵師として、福井城障壁画の制作などを手がけた。しかし、その活動は専ら福井中心で、父のように全国規模ではなかったため、岩佐派の活動規模が格段に縮小していったと考えられている。

勝重の没後は、その子岩佐陽雲が跡を継いだが、陽雲は、貞享3年の半知に際し絵師の職を解かれ、のちに支藩の松岡藩に仕官したが、絵師としては召し抱えられなかった。その後も陽雲を名乗った人物はいたが、実質、岩佐派は三代目にしてその歴史に幕を閉じた。

岩佐勝重(不明-1673)いわさ・かつしげ
通称は源兵衛。岩佐又兵衛の嫡男。父の没後にその跡を継ぎ、岩佐派の二代目となった。福井藩の御用絵師となり、寛文11年には福井城本丸御殿鶴之間などの障壁画制作を行なった。作品は又兵衛晩年の作風を伝えており、また狩野派を学んだとみられる。弟に同じく画家の長谷川等哲がいる。寛文13年死去した。

岩佐陽雲(初代)(不明-1708)いわさ・よううん
福井生まれ。名は以重、通称は源兵衛。岩佐勝重の子。父の没後にその跡を次いで岩佐派の三代目となり、同様に福井藩御用絵師となった。しかし貞享3年の半知に際し絵師の職を解かれ、のちに支藩の松岡藩に仕官したが、絵師としては召し抱えられなかった。なお、以重以降も代々陽雲を名乗り、画を描く者もいた。宝永5年死去した。

福井(08)-画人伝・INDEX

文献:桃山の色 江戸の彩 福井ゆかりの近世絵画、郷土画家とその関連門流展