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狩野興以にはじまる紀伊狩野の系譜
2022/8/18
狩野興以「花鳥図屏風」 紀伊国における狩野派の系譜は、狩野光信に師事した狩野興以(不明-1636)がはじまりとされる。興以は師である光信の没後、光信の弟・孝信の子である探幽、尚信、安信の三兄弟を教育し ...
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尾張の狩野派・町狩野
2022/8/12
狩野派「梨木禽鳥図屏風」(部分)興正寺蔵 町狩野とは、幕府や藩には所属せずに市井に門をはった狩野派のことで、尾張の吉川家は御用絵師・清野養山の門から吉川知信が出て以来、幕末まで町狩野として家系を続けた ...
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尾張の狩野派・代々続く御用絵師
2022/8/12
神谷晴真「花車図」建中寺蔵 尾張藩主は代々、教養のひとつとして狩野派の技法を学び、狩野派の画人を御用絵師として召し抱えていた。19世紀の後半からは、神谷姓を名乗る二家系が御用絵師の列に加わり、幕末まで ...
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尾張の狩野派・初期画人
2022/8/12
清野一幸「釈迦三尊図」 尾張におけるまとまった絵画制作は、名古屋城の障壁画制作にはじまった。この制作には、当時の狩野派の主流であった画人たちが多く参加した。尾張関係の狩野派の初期画人としては、加賀了順 ...
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南画一色の東三河画壇で異彩を放った狩野派・加藤元白
2022/8/15
加藤元白「山水積雪之図」 渡辺崋山以降、南画一色となった東三河地方で、狩野派を学んだ異色の存在として、加藤元白がいる。元白は砥鹿神社南部に位置する八名郡橋尾村に生まれ、京都に出て狩野派に学び、京都画壇 ...